そろそろ夜食の時間である。今夜は外出時に買ってきたパック入りの寿司。鮪とえんがわとつぶ貝。妻が、
「お皿に盛りつけようか?」
と言うが、うるさい放っとけ、と拒否。
実家が食堂と寿司屋だった反動か、私はきちんと食器や皿に盛りつけられた料理や、ちゃんとした店で食べる料理に何処か抵抗があり、昔から、インスタント食品や駅そばのような、瞬間勝負の食べ物や食べ方に憧れていた。ニュースて見る当時の国電のラッシュ時に、駅のスタンドで立ち食いそばをに群がる人びとを、心底羨ましく思ったものだ。球場や飛行場て売られるコーヒーやサンドウィッチなど夢の食べ物だった。ホットドッグなんか、死ぬまでに1度は、と本気で考えていた。幾ら田舎でも、そんな物自宅で作れると思う貴方は、都会の人でしょう。田舎の自宅でお袋のこさえたホットドッグなんか食えるかい、と書けば、もうネタバレですな。原点は都会生活である。映画館しか楽しみがない田舎が、私はつくづく嫌だった。絶対、都会に出るのだと考えていた。出たら帰るつもりなど毛頭なかった。年を取り、仕事が辛くなった父と母が泣き言を言い出しても、帰って助けようなど一度も思わなかった。子供の助けを当てにして生活設計をする親には死んでもなりたくなかったのである。子供は迷惑に決まっている。自分の人生ぐらい自分で責任取らなくちゃね。
ところで、私はこれまで、こいつには敵わん、この人はプロになれる、と思った人物が二人いる。前者は曾ての友人で、後者は外谷さんのご亭主である。作家になりたいと口にしていた友人は、不幸なことに、デカい料亭の息子という運命からついに逃げられず、外谷さんのご亭主は、どすこい奥さんにすべてを与えられ、書くことから遠ざかってしまった。もしも、外谷さんのような女性と結婚していたら、それは私の運命でもあったろう。正直、そっちの方が良かったなと、思わないこともないがね。
幸か不幸か、落日の食堂の倅だった私は、親と喧嘩しても好きな道に進むことが出来た。故郷の衰退ぶりも明白であった。
運が強かったというしかない。
出版不況と言われて久しいが、隆盛衰乏は世の常である。冬きたりなば春なんとかである。文句いったり愚痴ったりしたら、バチが当たる。作家とは好きでしか出来ない仕事だからである。
と、まあカッコよく見栄切ったところで、今回は〆としよう。お付き合いありがとうございました。
菊地秀行